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ねずみのしっぽ

無性愛・アセクシャルを自認している私のあれこれ。

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ヘテロいいなあ。

私は自分をアセクシャルと自認しているし
自認することで自分を肯定できた
と何度か言ってますし今もそれは変わりません。が。

もしどうにかして異性愛者になれるなら、なりたいです。
だってその方がこの社会の中で生きていきやすいから。
アセクシャルなのが嫌なんじゃなくて、
異性愛者の社会のなかで生きるのがハードに感じるだけです。

こないだゲッターズ飯田さんがラジオに出ていて、
ボーダーを着る女は彼氏ができないに始まり、
30分間DJと一緒に彼氏ができる女になるためには?
って話で盛り上がってました。

そういうのを嫌と思わないで「そーなんだータメになるー」って
思える人間だったらよかったなあと。
片思いソングや失恋ソングにいちいち共感できる人間だったら。
彼氏がほしい、結婚したいって心から思える人間だったら。

どんなに生きていくのが楽だっただろうと思うのです。

私は小さいころ、算数が嫌いでした。
理由はわかりませんが嫌いだった。
図工とか音楽は好きだった。
で、大体勉強しなさいって言われるのは国語とか算数とかで、
図工や音楽は「しなさい」って言われなかった。
算数は嫌いなのにしなきゃいけない。苦痛でした。
でも、算数が好きな子は、
多分言われなくても算数を勉強するだろうし、
算数の勉強をしなさいって言われても苦じゃないだろうし。
受験科目に算数(数学)が必須でもそんなに苦労しないんだろうなあ。
算数好きな子っていいなあって思ってました。

そんな感じに、私は異性愛者をいいなあと思ってる。

もし私が人生のパートナーなんていらないし、子供も全然欲しくない。
そう思ってるならアセクシャルでもそんな問題ないと思うのです。
(恋愛至上主義社会にイラっとすることはあっても)
でも私はそれを「欲しい」と思ってる。

算数の公式で答えをもとめるのが一番の問題を、
べつの方法で解かなきゃいけない。
しかも解き方は自分で見つけなくちゃいけない。

ハードだなーって思います。
ヘテロいいなあ。

ところでこないだアセクシャルを知ったヘテロの方が
「アセクシャルになって恋愛感情と無縁になって穏やかに暮らしたい」
と言ってたので替わってもらえたらいいのになあと思いました。

ないものねだりってやつかな??


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[ 2014/04/24 22:32 ] つれづれ | TB(0) | CM(1)

カミングアウトした時の話

私がアセクシャルを自認してから、
面と向き合って一人の友達にカミングアウトしてみました。

なぜカミングアウトしたか。
今思うと、必要があったかどうかは謎ですが、
当時の私には「とにかく誰かに知ってほしい!!」という
謎の勢いがありました。

○○ちゃんの周りってセクマイの人とかおる〜?
なんて妙に回りくどい入りをしてたと思います。

で結局、その子はアセクシャルなんて言葉は知らなかったようで。
「そういうのがあるんやな」とか
「今までKAOがそんなに悩んでたの知らなくてごめんね」とか
意外とすんなり受け入れてくれました。
「人を好きにならないことがそんなに問題だとは思わなくて、
打ち明けてくれたことは嬉しいけど、思ったように反応できなくてごめん」
とも。

もっと驚かれるかなあとか、何それ?どんな感じなの??て
突っ込まれると思ってたのですが。
何となく、私が異性愛者で「私実は男の人が好きなんよ」って
言ったみたいな感覚でした。ふーん、で?みたいな。

そしたら彼女も私に実は…という感じで言ってくれたのが
・彼女自身も人を好きになったことがないこと
・それに対して特に意識したりしたことはない
・でもなんとなく、そろそろ結婚とかしなきゃと思い始めてる
・「恋は誰もがすること」というのには違和感を感じる
というようなことでした。

私が「悩んでいたこと」が彼女にとっては「当たり前のこと」だった。
私には彼女がアセクシャルかどうかはわかりません。
彼女もアセクシャルの存在を知ったからどうこう、というのは
ないみたいでした。

で、その時思ったのは、
彼女はその状況を当たり前として違和感なく生きてきた。
私は、その似たような状況に悩んで悩んで、
わざわざそれにアセクシャルという名前をつけたんだなあということ。

名前を付けたから特別なことのように感じて、
(周りに同じように感じている人がいるとも思ってなかったし)
この普通じゃない私を知って、受け入れてほしいという強い欲求が
生まれたのかもしれない。
でも本当は、人を好きにならないということは、
人を好きになるというのと同じように”普通のこと”なんだと感じました。

でもそんな普通のことのはずなのに、
その子以外の友達には面と向かってカミングアウトしてません。
あとおばあちゃんには絶対に言えないなあとも思うし。
母親には「こういう無性愛者ってのがあって私はそれかもしれない」と
言ったことはありますが…

いったれー!となる時と、いや待て、そうじゃない、と思う時もあって。
なかなか難しいですね。

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[ 2014/04/21 22:43 ] アセクシャル | TB(0) | CM(0)

今日は怖い日だった。


このブログを始めるときに、
できるだけマイナスな、悩むだけの記事や異性愛者への苦情のような記事は
書かないようにしようと決めていました。

でも、今日はどうしようもなく不安で、怖かったので、
ちょっと今感じてるマイナス方向の気持ちを書かせてください。


私はアセクシャルで性的な意味で人を好きにならない。
でもまわりはそうじゃない。
ヘテロな友達は、みんな私より大事な恋人を作って結婚する。
今は私と会う方が楽しい、なんて言ってくれてる友達にも
恋人ができたら絶対そっちといる方が楽しくなるに決まってて。
恋人は友達よりも優先されて当然で。ゆくゆくは家族になれば、
それこそ友達としての私なんてほとんど居場所がなくなる。
それに今は母やおばあちゃんが家族だけど。先にいなくなってしまう。
私はみんなに置いていかれて独りになる。それが怖い。

私はおばあちゃんが好きだ。
昔から、おばあちゃんが生きているうちに結婚して、
ひ孫に会わせたいと思ってきた。けど、それは難しいかもしれない。
私の他にもおばあちゃんの孫はいるから、多分そっちのほうが
可能性がずっとずっと高い。それが悲しい。私がよかった。
他の人はみんな恋人を作って結婚をする。
私はそうじゃない。
それだけで私が一番の問題児になって、
哀れまれたり、呆れられたりする。それが怖い。
周りの人にとって自分が無価値になるのが怖い。

アセクシャルを自認して自分のあり方を肯定できても、
そういう恐怖や不安がずっとあって、
今日はそれがあふれて止まらなかった。
久しぶりに怖くて泣いた。

今まで結婚したい、恋人がほしいという人の気持ちがわからなかったけど
もしかしたら、こういう恐怖や不安から逃れるために、
人は結婚をしたがるのかもしれないと思った。
独りになる恐怖、必要とされなくなる恐怖。
そういうのから助かるために結婚したがるのかもしれない。


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[ 2014/04/15 21:49 ] つれづれ | TB(0) | CM(3)

ギャップを感じること。

自分が人を愛せないと思うより前から、感じていたギャップがあります。

男にとっての女、女にとっての男は、
性的な繋がりを持つだけの価値しかないのか?と。

例えば。
・完全に友達としての付き合いと思っていた男性に突然迫られて拒んだら
「なんで?」って言われてその日以降連絡がない。
 →今までの食事とか映画とか遊びに行ってたのは友達だからじゃなかったのか。
  そういう関係にならないとわかったら私は不要なのか。

・男女の友情は成立しない。仲良くするのは下心があるから。付き合えないなら
 時間の無駄。と言う男性。
・女友達に「(上の男性の言葉)って人がいてね。付き合いたいから仲良くなるって
 なんか嫌じゃない?」て言うとその子は
「じゃあ私はKAOの嫌いな方の人間だ。付き合いたいと思うから近づくよ」と。
 →コレはそのまま2、3行目の感想でした。

・「○○くんて彼女いないの?私の知り合いの子が○○くんに合いそうなんだけど紹介しようか?」
 っていう女友達。
 →これはアセクシャルを知るまで 同性愛かも編にでてきたCちゃんの言葉なのですが。
  Cちゃんまでそんなこと言うの?!っていう。ショックがすごくてもう何年も前なのに
  未だに覚えています。

婚活をしていた時も、恋人としては無理だけど、友達としてなら付き合えるっていう人は?とか。
だって、話や気が合って、一緒にいると楽しいなら、友達として十分やって行けるのに。
私のことを好きだと言ってくれた人も、恋人として付き合うのが無理ってなると、
じゃあと言ってそれっきりです。
私からはそれなら友達として繋がりましょうとは言えないです。
私が友達として好きと言っても、相手は私を友達として”は”必要としていないから。
「婚活しているんだから当たり前」なんですか?

付き合ってる時は彼氏、彼女で。
別れると○○くん、○○ちゃんに戻らず元彼、元カノとかいう生き物になる。

男と女は、付き合うか、付き合わないか、しかないのだなあと。
付き合わないなら、性的に魅力を感じないなら、その人間はその人にとって無価値になる。
それがとてもさみしいと感じます。



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[ 2014/04/10 22:19 ] つれづれ | TB(0) | CM(3)

ただのマジョリティ

自分が性的指向でマイノリティな立場になって初めて、マジョリティを意識しました。
多分、今性的指向においてマジョリティな異性愛者の方は、
自分がマジョリティだなんて思ってないんじゃないでしょうか。

だから、セクシャルマイノリティの人を
「認めよう」とか「受け入れよう」とかそういう考えになるのかなあと。
そこには無意識に、マジョリティが普通で、マイノリティは異常なこと、
という前提があるように感じます。

以前、街でゲイのカップルが手をつないで歩いているのを見かけたとき
一緒にいた友達と「愛っていろんな形があるもんね、すてきね」
って感じの会話をしました。
普通その辺で恋人が手をつないでたからってそれに対して一言なんてしません。
でもその時そういう会話が出たのは、私と友達の両方にとって、ゲイのカップルは
普通ではない異質な存在だったんだろうと。

相手を少数派と意識しているのに、自分は多数派ではなく「普通」だと信じて疑わない。
信じて疑わないというか、そういう意識すらない。
だから好奇心を寄せてみたり、気味悪がったり、そういうことを平気でしてしまう。

…なんか上手く表現できませんが。

性的指向に限らず、マジョリティが
「自分は”普通”じゃなく、ただのマジョリティにすぎない」
ということを意識すれば、世の中の偏見とかは無くなりやすいんじゃないかなあと。
思っています。


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アセクシャルを知るまで7 自認end

アセクシャル、無性愛者という言葉を初めて知ったのが
ツイッターだったかwikiだったか個人ブログだったかは忘れましたが。

私以外にも、異性を異性として好きにならないひとがいる。
しかもそれには名前がついている。

一番最初に感じたのは開放感でした。
もう頑張って無理に人を好きになろうとしなくてもいいんだ!
私が人を好きになれなかったのは、
努力が足りないわけでも、性格が悪いわけでも、人として異常なわけでもない。
ただ、単にそういう人間だったんだ!

とても楽になった気がしました。

でも色々調べていくと、
アセクシャルとは死ぬまで「本当にそうだったかわからない」とか。
早々に自分をアセクシャルだと決めつけて(実はそうでないのに)しまう人がいて
それが問題視されている。とか。色々言われていました。
日本ではまだまだ研究が進んでいない分野だからとにかく答えがない。
「自分が本当にアセクシャルであるのか」という答えは誰も出してくれない。

カウンセラーの人に相談したりしてみましたが、
答えは人によってまちまちです(それぞれの主観が違うので当たり前かもですが)
過去に問題がある、性格に問題がある、無性愛なんてないのだ。とか色々。

で、自分は本当にアセクシャルなのか?どうすればわかるのか?
アセクシャルという答えにすがって、楽な方向に逃げようとしているだけなのか?とか。
そういうことを考えているとき、Facebookで自分はアセクシャルだとしている方を知り、
勢いでメッセージを送ってしまいました。我慢できなくて。

で、なんやかんやあって今、私は自分をアセクシャルだと自認するようになりました。

私はアセクシャルだと何らかの形で証明されたわけでもなく、
論文とか、研究とか、難しい定義付けもよくわかりません。
アセクシャルと一口にいっても、それぞれの望む生き方や考え方は
(私が知ってるだけでも)ばらばらです。

今もよくアセクシャルという言葉を検索しますが、
知恵袋なんかでは「自分はアセクシャルなのか?」
「アセクシャルだったらどうしよう」とか、
自分が無性愛者かどうかで不安になって、悩んでいる人が多いです。
かつては私もそうでした。

でも、だからこそ「本当に自分がアセクシャルかどうか」という証明は
必要ないのではと思います。
自分をアセクシャルだと自認する、自分を認めることで楽になれることが、
一番大事なんじゃないかなあと。
楽になったと言っても、別の意味で全然楽じゃないですが。
私は今、自分をアセクシャルだと認めた上で、私が幸せになるには
どうしたらいいのだろうと、また違った悩みを抱えています。

でも、人を好きになれないことやアセクシャルかどうかで悩んでいた時よりも
前に進んでいると思います。

アセクシャルを自認するということは、
マイノリティであることを認めるんじゃなくて、自分のあり方を肯定すること。
自分が自分のままで自分らしく生きるための地盤をつくるということかなあと思います。

私はまだこの地盤にどうやって将来を築いていけばいいのかわかりません。
でもさぐりさぐりなんとかしていけたらいいなあと、思ってます。



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